1970年の大阪万博(EXPO’70)のシンボルといえば岡本太郎デザインの『太陽の塔』が有名ですが、太陽の塔とは一体なんだったのか?太陽の塔といえば上には金色の顔、真正面中央に大きな顔、そして背面には黒い太陽の顔が描かれていることは知られていますが、今では幻となった第4の顔の存在はご存知でしょうか?「太陽の塔」は「母の塔」「青春の塔」の3つで一つの作品であったことなど
太陽の塔とはいったいどんなものなのか?
太陽の塔は英語でTower of the Sunと翻訳される
『太陽の塔』といえば高さ70メートルにも及ぶ巨大なタケノコが地面を貫いて立ちはだかり、中央にはこちらを睨むような独特な表情の大きな顔、頂点には金色の顔、さらには左右に両腕を広げているような独特のスタイルで一度見たら忘れられない強烈なインパクトを与える太陽の塔である。
太陽の塔のデザイン者は?言わずと知れたこの人
太陽の塔は芸術家 岡本太郎がデザインしたもの。
「芸術は爆発だ!」でおなじみの岡本太郎氏(1996年1月7日 満84歳没)によるデザインということで非常に有名である。
太陽の塔はどんな材質でできている?
そんな見るものを圧倒し魅了する巨大な建造物であり、日本で開かれた1970年の日本国万国博覧会(EXPO1970)を象徴する存在でもある『太陽の塔』はいったいどんな素材によって作られているのだろうか?
- 太陽の塔の基礎的な部分は鉄骨と鉄筋コンクリート
- 頭頂部の『黄金の顔』はステンレス鋼板に金色の特殊塩化ビニールフィルムを貼ったもの
- 正面中央の『太陽の顔』の下地はガラス繊維強化プラスチック(FRP)
顔の表面は発砲ウレタン、コンクリート吹き付け、樹脂塗装 - 背面の『黒い太陽』は黒色の信楽焼の陶器によるタイル貼り付け
- 正面の赤い稲妻(イナズマ)と背面の緑のコロナはイタリア製ガラスモザイクタイル
太陽の塔を作るのにかかった費用は?工期はどれくらい?
『太陽の塔』を作るのにかかった工期は約1年2ヶ月(1969年(昭和44年)1月〜1970年(昭和45年)3月
太陽の塔の大きさはどれくらい?
名古屋ゲートタワービルの15階にあるということである。なので太陽の塔はビルの15階相当の高さであると考えられる。塔頂部の『黄金の顔』の目玉部分の直径は約2m
太陽の塔の根元の直径は約20m
太陽の塔の片腕の長さは約25m
『太陽の塔』には家族がいた!?母の塔と青春の塔
1970年の大阪で開催された日本万国博覧会(EXPO’70)のシンボルともされている、太陽の塔といえば、当時の万博を知らない世代ですら
ああ『太陽の塔』ね、みたことあるよ!
と、『太陽の塔』単体だけを思い出すと思うが、実は1970年の万博開催当時のテーマ展示としては『太陽の塔』の他に『母の塔』と『青春の塔』というものもあった。
岡本太郎自身が「太陽の塔」「母の塔」「青春の塔」3つの塔で一つの作品と捉えていたという。
『母の塔』を現在みることができるのは?
残念ながら1970年の大阪万博当時の母の塔は万博の終了後に取り壊されてしまった。
しかし、現在では復元された『母の塔』は神奈川県川崎市にある
岡本太郎美術館で見ることができる。
『青春の塔』の現在は?
『青春の塔』は万博終了後、万博の跡地を利用して遊園地となったエキスポランドに一時期移設され展示されていたが、エキスポランドの閉園とともに『青春の塔』も解体撤去となってしまったようで残念ながら現存していない。
太陽の塔には幻の4つ目の顔がある!?
太陽の塔といえば顔がついている印象が強い
太陽の塔といえば、白いたけのこのような円錐状の塔の腹部に位置する中心部分に
大きな顔、塔の上部には金色に輝いた顔、そして後ろ側にまわると真っ黒で描かれた太陽の顔があり
それぞれ、
- 「黄金の顔」金色に輝く『未来』を象徴し
- 真正面の「太陽の顔」は『現在』を
- 背面の「黒い太陽の顔」『過去』の三つをあらわしているとされる
太陽の塔そのものが過去〜現在〜未来を貫き
万物のエネルギーの源である太陽、生命、祭りを象徴しているとも言われている。
太陽の塔の幻の第4の顔とは?
実は太陽の塔は1970年の万博の開催当時には第4の顔が存在していたという。
それは太陽の塔のテーマ館の地下に展示されていた
『地底の太陽』と呼ばれる顔があった。
しかし、その万博当時の第4の顔『地底の太陽』は現在行方不明となっている。
幻の顔となってしまった『地底の太陽』は高さ3m、全長は幅11にも及ぶ
巨大な展示物であったものの1970年の万博の開催が終了し、撤去作業が行われたあとに、1993年までは兵庫県の美術館に展示するために移動したようだが、計画が頓挫したかドサクサによってそれ以降どこにいってしまったのか、現在に至るまで残念ながら第4の顔の消息は分かっていないようだ。
消えてしまった『地底の太陽』は一体何を象徴していたのか?
幻となってしまった第4の顔『地底の太陽(太古の太陽)』は「人間の祈りや心の源を表す」として太陽の塔の内部、地下空間に展示されていたというが、その「祈り」の象徴である地底の太陽が消えたことは一体何を意味するのだろうか。
現在では、幻の『地底の太陽』は図面などが残されていない中、スナップ写真などを頼りに復元されたものが太陽の塔の内部に再現されて展示されているので太陽の塔内部に入館することで、再現された『地底の太陽(太古の太陽』の「いのり」の呪術的な空間を見ることができる。
現在の『太陽の塔』の内部観覧は完全予約制
太陽の塔の内部はどうなっているのか?
1970年大阪万博開催当時には太陽の塔の内部は展示空間となっていた。
太陽の塔、内部の展示空間には高さ41mにも及ぶ、「生命の樹」が鉄鋼によって作られ、
その「生命の樹」の枝や幹にはアメーバ類などの原生生物から爬虫類、恐竜、人類にいたるまでなどの292体の生物の模型が取り付けられていた。
もちろん、これらの内部展示は1970年大阪万博のテーマである
「人類の進歩と調和」を象徴し、生命の進化の過程と神秘をあらわしていた。
残念ながら、1970年の万国博覧会が終了したあと、内部の展示の模型のほとんどが撤去されてしまったが現在では岡本太郎の原案を元にして復元され183体が展示され、内部観覧することが可能。
太陽の塔の内部観覧するためには?
太陽の塔では当日券の販売は行っておらず、予約がない場合には当日窓口で入館料を支払って入館することはできないので注意だ。来館前日までにWEBで予約することが必須である。
太陽の塔オフィシャルサイト https://taiyounotou-expo70.jp
太陽の塔内部入館はなぜ予約制なのか?
1970年につくられた『太陽の塔』は、耐震基準に満たないということで内部の限定公開すら何度も危ぶまれる危機にあってきたが現在の太陽の塔は修復され耐震・内部修復工事を経て公開にこぎつけたものである。そのため、
『太陽の塔』内部を観覧するための入館料金は?
太陽の塔の外観を眺めるだけなら予約は不要
内部公開している太陽の塔の中にまでは入館せずに、太陽の塔の外観だけを眺めるのであれば
万博記念公園自然文化園の入場料(大人250円、小中学生70円)を払い入園することで太陽の塔の外観を間近で見学することができる。
万博記念公園内 『太陽の塔』の場所の地図
岡本太郎と太陽の塔に関する本・書籍・資料
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