【万博事件簿!?】1970大阪万博で起こった珍事は?【太陽の塔アイジャックとは!?】

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太陽の塔アイジャック事件 1970大阪万博

太陽の塔の目玉をハイジャックした『目玉男』とは!?大阪万博開催期間中に届けられた金銭の落し物の総額は4千万円以上!?
2025年、55年ぶりに大阪・関西での大規模な万博(万国博覧会)の開催が決定しました。
万博といえばものすごい数の入場者が見込まれますが、1970年に開催された大阪万博(EXPO’70)では当初の予想入場者数を大幅に超えて6400万人以上の人が来場したそうです。多くの人が集まれば、様々なトラブル、珍事件が起こるのは当然のことそんな1970年の大阪万博で起きた珍事件・珍トラブルの数々について

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1970年の大阪万博はどれくらいの規模だったの?

通称『大阪万博』と呼ばれている1970年に日本の大阪で開催された万国博覧会の正式名称

Japan World Exposition,Osaka 1970
日本万国博覧会(EXPO’70)
’70EXPO のロゴ

1970大阪万博のロゴマーク

2025大阪万博ロゴ

2025年大阪関西万博誘致ロゴ

1970大阪万博のロゴは日本を象徴するをモチーフにしていました。
5つの花びらは世界の5大州(アジア州、ヨーロッパ州、アフリカ州、アメリカ州、オセアニア州)を表しており、中央の円(丸)は日本を表す日の丸を表しているそうです。

2025大阪・関西万博の誘致ロゴもどことなく花に似ていますね
「笑顔が花開く」といった感じでしょうか。
こちらは大阪に 万博を誘致するためのロゴなので
2025年の本番用のロゴはまだ未定のようですが、どんなものになるのか楽しみですね

1970年大阪万博のテーマは

「Progress and Harmony for Mankind」=「人類の進歩と調和」

1970年3月14日に万博の開会式が行われ
開催期間は3月15日開幕〜9月13日までの183日間
1970大阪EXPOは 半年にも及ぶ長丁場、大規模な万博でした。

大阪万博(EXPO’70)での展示に参加した国の数は78の国と地域
   大阪万博に参加した国と地域の詳細はこちらから↓(別ウインドウで開きます)
1970年の大阪万博に参加した国と地域のリスト 参加表明(参加申し出)順のリスト

大阪万博での売り上げ金額は??

大阪万博 入場券(入場チケット)の売り上げ金額だけで350億円
その他、食堂や売店などの売り上げが405億円だったそうです。
(もちろん1970年当時の金額、当時のお金の価値、サラリーマンの月給平均などは下記にて)
歴代の国際博覧会において、初の黒字となった歴史的な万国博覧会になりました。

半年に及ぶ大阪万博開催期間の来場者数は?

当初の目標入場者数であった3千万人を大幅に超え
途中で5千万人目標が変更されたが、その数もゆうに超え
最終的には総入場者数 64,218,770人 となり
延べ人数6400万人以上もの来場者がありました。

大阪万博の開催期間中の半年間で来場者約6400万人以上ということは

1日平均でおよそ35万人が毎日、万博会場に詰めかけた計算に。

ちなみに、1日の最低人数ですら、開幕直後の3月16日の16万3,857人

1日の最高入場者数を記録したのは1970年9月5日の83万5,832人!

1970年の大阪万博の会場の面積、広さは?

大阪万博会場の面積は330ヘクタール
330Ha (ヘクタール)の面積は東京ドームに換算すると
およそ東京ドーム70個分くらいに相当します。

連日の行列、混雑、人が集まるところに事件あり・・・

そんな大阪万博で起きた人類の進歩と全然調和していない!?
珍事件の数々について色々と調べてみました。

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1970 大阪万博事件簿

迷子も落し物も盗難事件も逮捕者数も記録的規模だった!?

1970年の大阪万博の開催期間中の迷子の数と迷子の親の数の総数
22万人以上いたそうです・・・・

なんと1日平均で約1200人以上もの人々(大人も子供も)が迷子になっていた計算です。

まあ、1970年当時は携帯電話も普及していない時代ですから
2025年ではそこまでの数にはならないとは思いますが・・・・
そういえば私の小さい頃にはよく迷子の呼び出し放送がデパートなどでありましたが
最近はめっきり聞くことが少なくなりましたよね・・・・

落し物の件数(届出があった分)
万博開催期間中の落し物の総件数が5万227件
そのうち、金銭、お金の落し物の金額総額が!
なんと4780万円もあったというのだから驚きです。

落し物の件数も1日に平均して約270件以上
お金の落し物の金額も1日に平均すると毎日26万円もの金額の落し物があったということになります・・・・(ちなみに、1970年のサラリーマンの平均月収は約6万円の時代です)

食中毒が43件、404人というデータがありますが
これは多いのか少ないのかいまいちわかりませんね。

それだけの人が集まる大混雑の最中には当然、盗難事件多発します。

盗み(窃盗)関連の届けが警察にあっただけでも
万博開催期間中に1600件以上もスリなどの窃盗の被害報告があったという・・・

これも1日平均すると、毎日毎日9件近い盗難があった計算になります。

その中でも最も大きい被害があったことで有名なのが

パビリオン内、香港館で展示されていた当時の価値(時価)で4880万円相当
ヒスイの腕輪などの宝飾品が盗まれたという事件が起きている

1970年当時のサラリーマンの平均年収が 87万円の時代である。
(ちなみに、高度成長期だったため万博の翌年の1971年に、サラリーマン年収は100万円を突破した。)

・・・・

1970年という時代背景を象徴するような特に印象的だった事件もあったようです。

動く歩道で500人が将棋倒し事故発生!?

動く歩道や動く階段、エスカレータなど、今では珍しくもなんともないような
空港や駅などでよく見かける動く歩道』が当時ではここでしか乗れない!珍しい乗り物(!?)だったことで今では、動く歩道が混んでいるなら歩いた方が早い・・・と気にも止めない人が多いと思いますが・・・

1970の大阪万博では行列してまでしてもこの『動く歩道』に乗ったという・・・そんな中で起きてしまったのがこの事件。

『動く歩道』に乗った500人もの乗客が将棋倒しになってしまい
80人を超える人が重軽傷を負ってしまう事故が起きました。

この事故の原因は、初めて『動く歩道』にのったおばあちゃん(ご高齢のご婦人)
『動く歩道』の終点近くで降りる際に戸惑っておりれず、係員が非常停止ボタンを押したために、動く歩道の突然のストップに乗客が次々とバランスを崩し将棋倒しに倒れてしまい怪我人が続出したという事故でした・・・

人類の進歩の証であった、自らが歩かなくても前に進むという文明の最先端技術の結晶であった『動く歩道』が非常停止ボタン一つでけが人続出の事故が起きかねないものだという皮肉な事件ですね

今では、珍しくもなんともないので、混雑している『動く歩道』にわざわざ乗りに行くこともないとは思いますがこの当時は珍しいので、行列してまでも万博に行ったら話のタネ『動く歩道』に並んでまで乗ったそうです。

太陽の塔の目玉をハイジャック!?ならぬアイジャック事件!?

なんだ!?あれはUFOか?いや!?人だ!?
万博会場に詰めかけた多くの来場者を釘付けにした事件がこの太陽の塔の目玉ハイジャック!?
通称『アイジャック』事件、または、『目玉男』事件

太陽の塔

出典:Wikipedia

目玉男事件とは、太陽の塔の頂部の金色の顔にある直径2mの目玉部分に人入り込み籠城した事件である。どうやって潜り込んだのか、太陽の塔の目玉が赤ヘルをかぶった一人の男にハイジャックされてしまった。

1970年3月31日に発生した日本初のハイジャック事件である『よど号ハイジャック事件』を文字ってこの事件は『アイジャック事件』とも呼ばれた。

太陽の塔は高さ約70mほど、目玉の部分に登っている男に万博会場は騒然とした雰囲気に。

この男「目玉男」と呼ばれ一時、現場にはこの「目玉男」をみようと、一時太陽の塔の周辺に数千人の観客が詰めかける事態にも・・・

歓声に応えるようにアイドルのように太陽の目玉部分から手を振るなどをする男

しかし、この「目玉男」の件で、一躍『太陽の塔』が人気スポットになったという・・・

警備では太陽の塔の目玉がハイジャックされるとは誰も予想もしておらず「早く降りてこーい!」という呼びかけも見物客の歓声によってかき消されてしまい・・・運営側もなすすべなし・・・
かろうじて「その場所にいると業務妨害ですから降りてください」という垂れ幕をかけて「目玉男」にアピールするも、「目玉男」は悠々と暇つぶしのために、読書用の本を持ち込むなど、用意周到に
太陽の塔の目玉部分で籠城を決め込むのであった・・・

太陽の塔アイジャック事件をテレビや新聞などの報道で見た人からは
「銃で撃って射殺しろ!」
など過激な意見もあったというが、当時の万博会場へ来た来場客へのインタビューでは

「おかしいわね、あんなとこ登って!意味ないんじゃないかしら!
でも、一週間もよく辛抱強くあんなとこに入れるなと思うわ!!」

「かっこいいんじゃないの〜?ふふふw」
「どうゆう目的があってなのか?万博中止とかなんかゆうてますけどねー?」

バカと煙は上に登る・・・と結局、降りてくるのを待つしかない状況だったとか。
なんておおらかな時代なんでしょう。

太陽の塔をハイジャックならぬアイジャックした「目玉男」は結局、8日間に及ぶ、太陽の塔の目玉での籠城(占拠)したのちに降参したそうですが、降参したその理由が

「寒さに耐えられなくなった」
・・・・・・とか。

目玉男は当然、建造物侵入、威力業務妨害の罪で逮捕されている。

いまだに、この事件の目的や真相はよくわかっていないとか・・・

結局、当時よど号ハイジャック事件を起こした赤軍をイメージする赤いヘルメットをかぶり、ヘルメットにも赤軍という文言を入れていたが結局は赤軍との関係もなく、ただのな目立ちたがり屋がおこした愉快犯的犯行であったらしいです・・・。

いつの時代にもバカはいますよね。
今だと視聴数を稼ぐために無茶をするユーチューバーといったところでしょうか…?

1970年万博において1度に67人も一気に検挙された事件

開会式の当日に万博反対運動と称して、労働組合のメンバーや学生運動者らが
あつまり、万博会場の最寄り駅において、集団でジグザク歩行で行進するなどをして
無許可でデモを行ったとして

鉄道営業法違反で検挙者が67人という事件が起きています。

日米安保問題などもあって、当時は国民運動や学生運動が非常に盛んであったため
このほかにも、会場の中や外で、万博反対などを訴えるデモ活動が行われていたようです。

5000万人目の来場記念の賞金はいくら?

これは事件ではありませんが当たった人にとっては幸運な事件ということで。

記念すべき5000万人目の1970年大阪万博の入場者となったのは当時21歳の大学生でした。
おばあちゃんと弟と三人で万博を訪れたおばあちゃん孝行の男性。

なんと5000万人目の記念の景品として
「世界一周航空券」と「賞金30万円」がこの男性にプレゼントされました。

1970年当時のサラリーマン平均月収は約6万円、平均年収は約87万円でした。

5000万人目の入場者という幸運を手にした方は
兄とともに、その世界一周の航空券を使い、1ヶ月ほど、アメリカやヨーロッパを旅したそうです。

そして旅行に兄と行ったという件が、今に、夫婦喧嘩の元となっているそう・・・

原因は、当時既に交際していた奥さんをなぜ連れてってくれなかった?ということだとかw
どちらにしろ羨ましい限りですね・・・

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2025年の55年ぶりの大阪万博で海外からの来場客が増えてトラブルも増える!?

1970年の大阪万博での来場総客数は6,421万8,770人のうち外国人客は 約170万人いたそうです。
外国人の来場者は、およそ2.65%の計算ですが、
それから55年後2025年大阪・関西万博では、1970年当時の比ではないくらいにもっともっと外国からの来場者は増えることが予想されるでしょう。

1970年から55年の時を経て再び、大阪・関西の地での開催が決まった
2025大阪万博ではどんな珍事件が起こることやら・・・?

テロリストの犯行なども巧妙になって来ている昨今。
罪のない市民を巻き込むような事件が起きることなく平和に万博が開催されるといいですね!




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